14. 危機についての教育
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この年3月3日早朝に、東北日本の太平洋岸に津波が襲来
この津波で多数の人命が奪われた
さらにその37年前の明治29年にも同地方に「三陸大津波」と称される、同様な現象が起こっている それ以前にも津波は何度も繰り返されてきている
寺田は、これほど繰り返し同様の災害に見舞われていながら、これまで何らの対策も講じられてこなかった理由についてさまざまな考察を行った
訴え
「日本国民の災害に関する科学知識の水準を高める」必要があること
さらにそのために「普通教育で、もっと立ち入った地震津波の知識を授ける必要がある」
残念ながら寺田の在世中にこの提言が社会に受け入れられることはなかったのだが、21世紀を迎えた今日の日本では「防災教育」という新たな教育が成長してきている
「暴風、竜巻、豪雨、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、地震、津波、噴火、地滑りその他の異常な自然現象または大規模な火事もしくは爆発その他、その及ぼす被害の程度において、これらに類する政令で定める原因により生ずる被害」」
1. 阪神・淡路大震災と東日本大震災
1-1. 阪神・淡路大震災後の防災教育
阪神・淡路大震災までの時期、防災教育とは年に1, 2度、避難訓練を行うこととほぼ同義 火災発生時間が子どもたちに予め伝えられ、その時間になると非常ベルが鳴って、子どもたちは教師に先導されて整然と列を作り、教室から校庭へと出ていって、そこで点呼を受ける
安全とか命を守ることを学ぶという機会であるよりは、義務的色彩の方が強いものであったと言える
一方、これとはほとんど何のつながりもなく、学校の理科(あるいは地理や地学)の時間に、災害を引き起こす自然現象のメカニズムについて学習する
これはあくまで自然現象についての学習であって、そのことと自分たちの命や生活との関係について学んだり、自分たちがそうした自然現象に遭遇したらどうなるか想像してみるということはあまりなかった
1-2. 東日本大震災での津波避難
阪神淡路大震災後、すべての学校という訳ではないものの、防災教育の必要性を強く感じ、それを学校で実践するようになった教師たちが、現れ始めた 地震発生15分後に校庭に集合した生徒たちが、点呼を受けた後、教師たちの間で意見が分かれたために、子どもたちは校庭で待機させられる事になってしまった
校庭にこのまま待機すべきだとする意見 vs 津波の危険があるので逃げようという意見
しかし、逃げると言ってもどこに避難すべきか、大勢の子どもを安全に移動させるにはどうすればよいかといった具体的な避難行動計画は、この時大川小にはなかった
当時宮城県の津波浸水予測図では、大川小学校には津波は来ないと想定されており、校庭で待機するという選択肢も教師たちにとってそれほど非現実的なものではなかったと思われる
地震発生後の40分を経って避難を開始した直後、近くの北上川の堤防を越えて津波が押し寄せ、104名いた児童のうち74名、教職員11名のうち10名が津波に飲み込まれて死亡/行方不明 後になって、なぜ具体的な避難計画がなかったのかという世紀人追求が行われたが、「津波はここまで到達しない」という行政側からの「想定」に疑問を差し込むことなど、それまではなかったのだろう
岩手県釜石市立釜石東中学校では、212名の生徒が、地震の揺れが一旦落ち着くとすぐ校庭に集合し、その後、約1.5km離れた峠まで教師の引率のもと、避難が開始された 途中、近くの鵜住居小学校の児童たちの手を惹いて、一緒に避難した 避難後、津波が学校を襲い、水は十数mの高さにまで達したが、子どもたちは冷静に慌てることなく、非難することができ、当日登校していた小中学生は、全員が無事だった
しかし、マスコミが伝えるような偶然や奇跡ではなく、日頃から行っていた訓練(防災訓練)の賜物だったと考えるべき 1-3. Eastレスキューの活動
釜石東中学校が取り組んだ「Eastレスキュー」と名付けられた防災教育活動は2010年度に防災教育チャレンジプランに応募して、2011年度防災教育優秀賞を受賞した 受傷のわずか2週間後に東日本大震災が襲ったが、一人の死者を出すこともなく、避難を完了することができた
釜石東中学校の防災教育活動
小中学校合同の避難訓練(地域・行政との連携)
津波の浸水模型作り
安否札1000枚の作成配布
防災体験(以下から生徒が選択して学習)
防災マップ作り
救急搬送
応急処置
水上救助
炊き出し
防火練習
実際に近隣地区を回る(フィールドワーク)
風水害対策
海難救助
実践を通して目指すもの
自分の命は自分で守る
助けられる人から助ける人へ
防災分化の継承(防災意識を保護者へ、地域へ)
1-4. 「防災教育」が必要な理由
日本火災学会「1995年兵庫県南部地震における火災に関する調査報告書」
震災で生き埋めになったり閉じ込められたりして、その後救出された235人にアンケートを行い、その時誰に助けられたかを調べている
自力(34.9%)、家族(31.9%)、友人・知人(28.1%)で、全体の約95%
救助隊によって救出されたのはわずか1.7%
大規模災害では、救助隊だけでは到底手が足りない上に、道路の寸断などでなかなか到達できない
このような状況下では、自分で助かる(自助)、周囲の人に助けられる(共助)ことが救助隊による救助(公助)より現実的であるのは明らか そうなると、一人一人が救助や応急処置のための、最低限の知識を持っていることは重要
さらに、一人の人が大きな災害に遭遇するのは、一生にせいぜい1, 2回だろう
そうなると、いざそういう事態に立ち至った時に、冷静に沈着に対処できる人など多くはない
その場でいろいろなことは出来ないとしても、最低限自分の命を守り、怪我をして他者の世話を受けなければならないような状況にならないようにするには、いざという時に生命を守る行動が取れるための、事前の訓練が欠かせない
何処で災害に見舞われても不思議ではない国に暮らす我々は、子どもたちだけでなく大人も、いわゆる「災害リテラシー」(防災や災害対応の能力)を身に着けておくことが、是非とも必要だと言える 2. 防災教育の実例と被災者支援
2-1. 防災教育の具体例
内閣府をはじめ、複数の省庁や団体が後援する防災教育チャレンジプランという取り組みがある
全国の学校や地域で取り組まれる防災教育を推進するための新しい企画・取り組みを1年間サポートするというもの
具体的な試み
遊び・楽しみながらの防災(防災ゲーム、防災カルタ)
災害を想定した訓練(避難訓練・防災訓練、応急手当、炊き出し、防災グッズ、消火訓練など)
災害に強い地域を作る(防災マップ、図上演習、役所訪問)
災害を疑似体験(起震車体験、防災オリエンテーリング、実験、防災館での体験)
防災に役立つ資料作り(避難場所の標識作り、暮らしの安全読本作り、地震・津波に関する支流お集め、幼稚園・保育園の為のハンドブック作り)
防災に関する知識を深める(ビデオ市長、被災者の体験談を効く、ミニ防災プランを立てる)
文部科学省も2013年に「学校防災のための参考資料「生きる力」を育む防災教育の展開」を公開
幼稚園児から高校生までの子どもたちに対し、それぞれの発達段階に応じた防災教育の目標を提示している
2-2. サポーターとなるための防災教育
被災地では少なくとも最初の数日間、公的援助は期待することが出来ず、同じ被災者同士が「被災の程度の軽い人が、被災の程度の重い人を支援する」ことで乗り切っていくことが求められる
つまり、防災教育には自分の命を守るための訓練という目的と共に、被災者の支援者となるための防災教育も必要となる
具体的には、怪我人の応急手当、心肺蘇生法やAEDの使用について、病人怪我人の搬送について、救出・救助についての知識が必要 普段我々は、専門家だけが行うべき行為であって、素人は手を出せないものとみなしているところがある
しかし、大きな災害に見舞われた際には、それぞれの力に応じて、救助者にもならなければならない
阪神淡路大震災以来、大災害の際には全国からボランティアの人々が駆けつけてくれるようになった
しかし、ボランティアについての知識や教育がなければ効率的な支援は望めない
一方的な支援では逆に被災者に害を及ぼしてしまうことさえあるということについて、辛い体験をした人の心の動きについて知識を持っていることが求められる
やはり事前に知っておくことは重要
実際にボランティアとして被災地に出向くことは出来ないという人でも、義捐金を送ったり、支援物資を送りたいと考える人も多い
しかし、その場合にもやはりある種の学習は必要である
つまり、被災地の現状について正確に把握していなければ、被災者の支援になるどころか、彼等に余計な負担を強いる結果になってしまうかもしれない
さらに言えば、阪神淡路大震災、東日本大震災の折りも「がんばろう」という言葉を連呼したもの
被災者たちがこの言葉を本当に素直に受け止めることが出来たのかどうか、振り返ってみる必要があるのかもしれない
災害に対する事前の備えも重要
防災教育の一環としての、避難場所、避難経路の確認は、災害時に身を守る行動の必要性とともに、実際に役立つ知識を生徒たちが身につける機会となる
さらに、非常持ち出し袋の準備も欠かせない
「持ち出す」ことを前提→最も必要な物品は何か
住まいや家具の耐震化
3. 防災教育の普及を阻害するもの
防災教育は到底「充分」とは言えないのが現状
これだけ多くの災害報道に接していながら、自分が被災者となる可能性を直視したり、防災教育の充実を強く要求したりしない
いくつかの理由が指摘されている
災害の発生スパンが、人の一生の長さに比べて長い
寺田寅彦も指摘している
大災害の多くは確かに繰り返されているものの、100年あるいはそれ以上の年月に1度程度
災害後、しばらく機運が高まったとしても、世代が入れ替わってしまえば、災害の記憶は何時しか消え失せ、次世代以降の人々には災害に備えようとする意識そのものがなくなってしまう
平常時には人の心の安定にとって好ましい特性
喫煙習慣を改めようとしないのは、「喫煙が肺がんの罹患危険性を高める」というのは一般論であって、自分には当てはまらないと、どこかで安心しているところがあるからだろう
こうしたバイアスが働くために、「わが事」としてこれを認識し難いのだと考えられる
防災教育を行おうとする場合「受験に関係のない授業」に時間を割かれることへの抵抗感
地理学や地学などの科目は特に大学受験で選択されることが少ない科目
受講する生徒も多くなく、受講したとしてもあまり身を入れて学習しないかもしれない
文科省が示す防災教育目標は、どのような取り組みをすれば達成できるのか、現場の教師たちには知識も経験も十分とは言えない
4. 防災教育がもたらすもの
諏訪, 2015は、防災教育が災害時に自分や周囲の人々の命を守るための技能や知識を得る、不可欠な教育であるだけでなく、それを学んだ生徒たちに、それを越えた教育効果をもたらすものであると指摘する 災害の現象について正確に知っていることで、何をどのように備えておけば良いのかがわかり、またその通りに備えをしておくことで、ある種の安心感を得ることができるだろう
学校で防災教育が行われた生徒たちが、自分たちの住む地域の抱える災害に対する弱点を見つけて指摘し、更に避難地図の作成など地域防災活動を推進する力になったとき、生徒たちはその地域で感謝され、頼られる存在となるだろう
彼らは大人から頼られ、感謝されることに誇りや達成感を感じ、そこから自己肯定感を高めていくことができると諏訪は指摘する
被災体験を持つ子どもたちについても、自分たちが見舞われた災害を思い出すことは辛く、できれば思い出したくないものであるが、語りを通して自分の体験と向き合うことができるのだと指摘する
「安心できる環境の中で、信頼できる先生から被災体験についての作文を書く機会が与えられれば、自分の体験の意味を考え直すことにつながる。その作業が自分の被災体験に意味を与え、その体験と上手く付き合っていく助けになる」
一方、そうした生の体験の記録に接する中で、被災経験を持たない生徒たちは、混乱の中で人々がどのように支え合い、思いやりを持ち合って生き抜いたかを学び、そこから人の生き方について多くのことを学ぶことになるだろう